新宿ニコンサロン「最後の旅」展を終えて

展示が終わり既に二ヶ月が経ち、今更ではありますが、ニコンサロンでの「最後の旅」展を終え、関わってくださった方々に御礼を言いたいと思っています。本当にありがとうございました。

「ありがとうございました」。展示や合わせて制作した写真集を見終えた方からもそう言われることが少なくなく、意外にもそのことが最も印象に残る初めての個展でした。「すごい」「面白い」「感動した」と「ありがとう」は別次元の感想だと思っています。「ありがとう」は、作品の出来不出来に対してではなく、見る人の心と作品とが響き合い、その結果として生まれる自然の声のような気がしています。その声とは、その人自身のものであると同時に、西郷どん風に言えば、天の声、世の中の声のようなものだと思っています。

作品を見せるということは、とても恥ずかしいことではありますが、自分はひとりではないということを改めて実感できる、かけがえのない機会であり創造的な行為であるということを知りました。「最後の旅」は形を変えて今後も展示をしていきます。既にいくつかの書店とギャラリーでの展示が決まっています。詳細はまた報告します。

土の器

先祖が眠る裏山の土で器を作ることができる。

土器を作るワークショップの撮影をさせて頂いて一番驚いたのはそのことだった。感動を通り越して、畏れに近い気持ちを抱いた。

原料となる土を取りに行こう、と登った山は、登ると言っては大袈裟な、数秒で上がることができる裏山だった。 参加者の方たちが土を掘りはじめた場所のすぐ手前と先の方に、ワークショップを主宰する勅使河原さんのご先祖様のお墓があり、それがなんとも示唆的だった。

なぜなら、あとで調べて分かったことだが、土はさまざまな生き物の屍と鉱物とが混ざり合ってできている。だから、その土でできた器の中にはかつて地上で生きていた生物たちがいる、と考えることもできる。命をつないでいくために私たちは飯を食わなければならない。食事とは生き物の命をいただくことだ。それは分かっているつもりではあったけれど、「器」を作ること自体、生き物の恩恵に預かることなのだとは思いもしなかった。

言われてみれば、石油だって、元は太古の昔の生物の死骸と言われている。その石油から作られるお皿はあまりにも生き物の姿とはかけ離れているから想像がつきにくいけれど、一度先祖が眠る土で器を作ってみれば、私たちの生活が過去の生物の営みの上にあるという実感が湧くかもしれない。

ワークショップの講師は土器作家の寺﨑彩子さん。アスファルトの原料の話の流れだったか、「世の中のもので自然からできていないものはないんですよね」とにこやかに話されていたのが印象に残っている。土器を作り始めた理由は「世の中にはもう器が溢れているから、これから器を作るんだったら元の状態(土)に戻しやすい土器を作っていこうと思った」とのことだった。しなやかな発想をする自然な方。土器を作るということは、素朴だけれど、それを体験する人に今の暮らしを見直させる強い力があると思った。

ワークショップの主宰は「たねのアトリエ」の勅使河原香苗さん。今回の土器づくりを皮切りに、豊かな自然が残る秩父の山の中にアーティストを招いてさまざまな活動を行なっています。

サツキ

今朝久しぶりに早く目が覚めて庭を歩いた。雨露に濡れたサツキの花の美しいこと、この上ない。目が覚めるような鮮烈なピンク。朝靄に包まれたまだ薄暗い世界の中で、この花だけが色を持っているようだった。表面張力でぷっくりと花弁に付いた大小様々の水滴は超光沢の飴細工のようで、その一粒一粒が瑞々しい輝きを放っていた。見惚れていると、ハエのような小さな虫が一匹いることに気付いた。途端、虫は吸い込まれるようにラッパ型の花の奥へと進んでいった。

個人のお客様向けの撮影、はじめます。

今年はじめに生活の拠点を長野県松本市に移しました。

生活の拠点、ということは仕事をする場所ではない、という意固地な考えがなぜか頭の中を占めていたこともあり、長野ではしばらくただただ生活をしていたのですが、じっと動かないでいられるという性分でもなく、表題の通り松本を中心に新しく仕事を始めようと思います。

内容は、メニューに新しく追加した「地平線スタジオ」をご覧になって頂ければと思いますが、ざっくり言うと個人向けの撮影サービスです。

家族写真が多いのかなと想像していますが、いろいろな使い方ができるかもしれないとワクワクしています。

(ワクワクの内容はまたこのブログで発信できたらと思っています!)

まだまだ試行錯誤の状態で、今後内容が変わる可能性は大いにありますが、見切り発車でとりあえずスタートします。

それでは、立ち上げたばかりの「地平線スタジオ」をどうぞよろしくお願い致します。

新たな生活の拠点を見つけた日の夕焼け。松本にて。

新たな生活の拠点を見つけた日の夕焼け。松本にて。

写真展「新鮮」無事閉幕しました。

ひと月も前のことですが。

1月27日から2月2日にかけて、浅草のカフェ&バーFUGLEN ASAKUSAで写真展を開催しました。

会場に設置したステートメントをこちらに再掲します。

「新鮮」

いまの子は魚が切り身の姿で海にいると思っているらしい、なんて話を十年位前に聞いたこ とを思い出す。子供を揶揄するような話を聞いて、偉そうに一緒に呆れてみた記憶があるが、 自分も何を知っていたというのだろう。食卓やスーパーに並ぶ前、私たちが食べるものはどん な姿、形をしているのだろう。どんなところで生きているのだろう。 そのような考えを持ちながら、料理人の友人に誘われたのをきっかけに、田畑や狩猟採集現場を訪ね歩き、写真を撮るようになった。その中で見えてきた、生きものとしての食べ物の姿。 新鮮とされてはいるけれど、実際のところ今にも食べられてしまう運命にある食材ではなく、伸びやかにその時を生きる生き物としての食べ物を、今回はテーマにしようと思った。新鮮、と私たちはすぐに形容するけれど、その基準は人間の目線でしかない。生きものの目線に立った時、 鮮度など定義できなくなるはずだ。生きものはいつだって新鮮だ。いくつ歳をとっても私たちが 毎日新たな気持ちで生きていくように、いまこの瞬間を生きている。

タイトルは最初「鮮度の再定義」でした。

その言葉には、’’新鮮’’な野菜や魚を見て喜ぶ、都会で美食を堪能する人たちへの多少の皮肉を込めたつもりでした。’’新鮮’’な食材を大都市で食べられるということは、物流や冷蔵冷凍技術の発達と生産者の努力によるものであって、単純な’’新鮮さ’’への感激、鮮度主義と言ってもよさそうな、食べ物への都会の人間の姿勢に対して(それはもちろん自分自身も含むのですが)、どこか矛盾を感じていた自分なりの表現でした。ただ結局、再定義など大げさな感じがして止めました。

2019年の一年間、田畑や海を訪ね、多くの生産者さんに話を伺いました。その中で少しずつ、自分の中の食べ物のイメージが形を変えていきました。最終的にその姿は、元々抱いていた様々な食べ物に対するイメージ(人参と聞いて綺麗なオレンジ色を連想するような)とは異なっていました。文字通りそれは生きて動いていたのです。人の亡きがらと生前の姿の違いを例にあげるまでもなく、土の中にいる食べ物と収穫された後のそれとでは生命の輝きがまるで違っていました。そんな当たり前のことを再発見したつもりで写真として表現したのが今回の展示です。

写真を通して、生き物、ひいては人間をも含む地球全体の生命の力強さであったり、尊さ、可愛さ、健気さ、儚さのような、同じ生命に対して私たちが確かに抱く感応をこれからも表現していきたいと思っています。

2020.2.29

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ブログを始めました。

はじめまして。高重と申します。

撮影しているファーマーさんたちのことなどをここで書いていけたらと思っています。

よろしくお願いします。

写真は長野県上伊那郡中川村の農園草むらさんで育てられている麦。2019.5.28

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