写真展「新鮮」無事閉幕しました。

ひと月も前のことですが。

1月27日から2月2日にかけて、浅草のカフェ&バーFUGLEN ASAKUSAで写真展を開催しました。

会場に設置したステートメントをこちらに再掲します。

「新鮮」

いまの子は魚が切り身の姿で海にいると思っているらしい、なんて話を十年位前に聞いたこ とを思い出す。子供を揶揄するような話を聞いて、偉そうに一緒に呆れてみた記憶があるが、 自分も何を知っていたというのだろう。食卓やスーパーに並ぶ前、私たちが食べるものはどん な姿、形をしているのだろう。どんなところで生きているのだろう。 そのような考えを持ちながら、料理人の友人に誘われたのをきっかけに、田畑や狩猟採集現場を訪ね歩き、写真を撮るようになった。その中で見えてきた、生きものとしての食べ物の姿。 新鮮とされてはいるけれど、実際のところ今にも食べられてしまう運命にある食材ではなく、伸びやかにその時を生きる生き物としての食べ物を、今回はテーマにしようと思った。新鮮、と私たちはすぐに形容するけれど、その基準は人間の目線でしかない。生きものの目線に立った時、 鮮度など定義できなくなるはずだ。生きものはいつだって新鮮だ。いくつ歳をとっても私たちが 毎日新たな気持ちで生きていくように、いまこの瞬間を生きている。

タイトルは最初「鮮度の再定義」でした。

その言葉には、’’新鮮’’な野菜や魚を見て喜ぶ、都会で美食を堪能する人たちへの多少の皮肉を込めたつもりでした。’’新鮮’’な食材を大都市で食べられるということは、物流や冷蔵冷凍技術の発達と生産者の努力によるものであって、単純な’’新鮮さ’’への感激、鮮度主義と言ってもよさそうな、食べ物への都会の人間の姿勢に対して(それはもちろん自分自身も含むのですが)、どこか矛盾を感じていた自分なりの表現でした。ただ結局、再定義など大げさな感じがして止めました。

2019年の一年間、田畑や海を訪ね、多くの生産者さんに話を伺いました。その中で少しずつ、自分の中の食べ物のイメージが形を変えていきました。最終的にその姿は、元々抱いていた様々な食べ物に対するイメージ(人参と聞いて綺麗なオレンジ色を連想するような)とは異なっていました。文字通りそれは生きて動いていたのです。人の亡きがらと生前の姿の違いを例にあげるまでもなく、土の中にいる食べ物と収穫された後のそれとでは生命の輝きがまるで違っていました。そんな当たり前のことを再発見したつもりで写真として表現したのが今回の展示です。

写真を通して、生き物、ひいては人間をも含む地球全体の生命の力強さであったり、尊さ、可愛さ、健気さ、儚さのような、同じ生命に対して私たちが確かに抱く感応をこれからも表現していきたいと思っています。

2020.2.29

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