サイドストーリー

記念写真はなかなか撮れない

 修善寺を訪れてからひと月ほど。今も印象に残るのは、島崎さんのお話の中で出てきた常連のお客さんのことだ。繰り返し同じ場所を訪れる常連客の楽しみとは何なのだろうか。二週間ほど滞在する人もいるという。一度来ただけでは満足できない、何度も来たくなるのはなぜなのだろうか。

 島崎さんに聞くと、常連の方は観光に来るというよりは、やすみに来るらしいということだった。「温泉に入ったり、富士山を見たりしているようです」。そう教えてくれたが、それなら温泉や富士山の眺めの何が他と違うのか、せっかくなら利用者の目線で直接話を聞きたいと思った。滞在中、温泉などで一緒になることがあったら聞いてみようと思っていたが、結局その機会には恵まれなかった。

 撮影も思い通りにはいかなかった。車の前に突然鹿の群れ現れたまでは良かったが、カメラに手を伸ばした隙に跳ねていなくなってしまった。山の変わりやすい天気にも翻弄された。止んで欲しいと願っても雨が止むことはなかったし、どうせなら、と思い切り降って欲しいと気持ちを切り替えたところで厚い曇り空からは小雨が落ちてくるだけだった。規則正しくリゾートを巡回するシャトルバスだけが、こちらの計画に寄り添ってくれた。

 頼まれてもいないのに取材の裏側を紹介したのは、相手が自然だからしょうがない、という言い訳をしたかったからだ。季節が移り変わり、すでに遠い昔のことのように感じられる修善寺での夏の数日を振り返っていると、ふと、何度も同じところに足を運ぶのは、相手が自然だからだ、という答えに妙な確信を得た。いつ来ても違う景色を見せてくれる。一度来たからと言って、その場を制覇した気になるような記念写真はなかなか撮れない。多分ここは一枚写真を撮って満足できるような場所ではないのだ。

 朝方、人気のないゴルフコースを二頭の鹿が悠然と散歩している。そんな写真が撮れたらと想像する自分がいる。日々、どころではない、刻一刻と移り変わる目の前の風景を感じるために、ここに来て、ここで休んでいく人がいるのだと思う。

映像撮影 峰村博征

映像監督 福村昌平

写真・文 高重乃輔